チェロキー訪問

ノースカロライナ州チェロキーは、ノースカロライナの西部、いわゆる山間部Mountainsと呼ばれる地帯にある小さな町です。
この町にチェロキーというアメリカインディアンの部族が、現在のケンタッキー北部からジョージア、アラバマなどに至る広大な土地に住んでいました。
チェロキーはこのチェロキーインディアン保護地区として有名です。
チャタヌーガからノースカロライナに戻るにあたり、そのチェロキーを訪問することにしました。

(注)なお現在アメリカインディアンに対してネイティブアメリカンという呼び方もありますが、このページではアメリカインディアンという呼び名で統一させて頂きます。


チェロキーへ

チャタヌーガからチェロキーに向かうにはインターステーツ40号線よりUS74号線の方が近いのでこちらを回ることにしました。
まだまだ見たいところもありましたが、早めにチャタヌーガとはお別れです。

車はすいすいと走って行きましたが途中まで来たらなんと通行止め(^^;;;
どうも事故のようで、前を走っていた車が警官に迂回するように言われています。
警官は私たちのところに来ると「前の車についていきなさい」( ̄□ ̄;

迂回路は持っていた地図にも載っていない、地元の人しか使わないような信号も、センターラインもない細い山道ですが行くしかありません。
前の車を見失なったら迷子になるのは確実です(^^;;;

どこを走っているかまったく分からないので車内はしばらくどきどき状態。
でも前の車を追ってしばらく走っていると対向車がたくさんやってきます。
全面通行止めだったんですね。
対向車を見て道が間違っていないことを確認できたのと、途中にカウンティ(郡)の境を示す標識があっておおよその場所がつかめたのでかなりほっとしました。
この後無事US74に復帰。チェロキーに辿り着きました。

あ〜しかしびっくりしたなあ。

チェロキーインディアンの歴史

チェロキーインディアンがヨーロッパ人にその存在を確認されたのは1500年代のことです。
チェロキーインディアンはアメリカインディアンの中でも最も進歩した部族のひとつでした。
当初は上手くいっていたヨーロッパ人とチェロキーインディアンの関係は1830年代になってジョージア州で金が発見されたことから状況が一転します。
金を欲しがった人々はチェロキーインディアンを現在のオクラホマ方面に向けて強制移動させます。
この為に何千人ものチェロキーインディアンが生まれ育った場所を離れ、新しい居住地を求めて放浪の旅に出ることになるわけですが、この移動は多くの死者を出すことになりました。
これが現在「涙の跡Trail of Tears」と呼ばれるチェロキーインディアン最大の悲劇となりました。

参考

Official Site of the Cherokee Nation based in Tahlequah Oklahoma

Eastan Band of Cherokee Indians Home Page


チェロキーインディアン博物館

チェロキーインディアン博物館のHP

博物館の入り口 博物館の敷地にあるモニュメント 博物館の中の様子
チェロキーインディアン博物館は10000年以上のチェロキーインディアンの文化と歴史を展示した博物館です。
入場料を払って入ると、まず最初にチェロキーインディアンに語り継がれた世界生成の物語のアニメ映画が上映され、その後館内の展示を見て回ることになります。

オコナラフティ インディアンビレッジ

オコナラフティインディアンビレッジのHP

オコナラフティインディアンビレッジビレッジの入り口

このオコナラフティインディアンビレッジは18世紀ごろのチェロキー文化を再現したガイド付きツアーで回る観光村です。
営業は5月15日〜10月25日の夏季のみで、午前9時〜午後5時半です。

ビレッジに着くと丁度ツアーが出たところでした。
聞くと次は1時間後(^_^;)
待っていられないよ〜。先発のツアーを追いかけることにしました。

吹き矢

吹き矢つくり吹き矢のデモンストレーション
追いかける…といっても村内は徒歩ですからツアーはすぐに捕まりました。
ツアーガイドは右上の写真の奥に写っている男性でした。
まずは吹き矢の製作とデモンストレーションの見学。
吹き矢というとインディアンの狩猟道具というイメージですが、チェロキーではリスなどを捕まえる、若い男性の遊びのひとつだったようです。
矢も羽根ではなく動物の毛で出来ていました。
デモンストレーションでは見事に的に命中。拍手が起きていました。

インディアンの家

チェロキーインディアンの家
18世紀当時のチェロキーインディアンの家です。
テレビや映画に出てくるテントの家ではなく、ちゃんとした作りになっていてベッドまでありました。

クラフト

編み紐

チェロキーインディアンの伝統的なクラフトはとても興味深いものです。
左は幅15センチくらいのカラフルな手織りの紐。
2種類ほど編み方があるのだそうです。
ガイドさんも腰に巻いていらっしゃいました。
ただしここでの紐の素材は現在のアメリカで気軽に手に入るアクリル毛糸でした。
編み方の実演と言う感じです。
当時は色も素材も今よりずっと素朴なものだったんでしょうね。

右の写真は木彫りのお面。
他にも手編みの籠などの実演がありました。

チェロキーのカヌー

カヌーの説明後ろが出来上がったばかりのカヌー
アメリカインディアンの水上交通といえばカヌーです。
チェロキーのカヌーは適度な大きさに切った丸太の中を燃やして繰り抜く方法で作られています。
アメリカインディアンのカヌーはノミと金槌でこつこつ丸太を削って作るのだとばかり思っていましたが、間違っていました(^_^;)
でもこの方が簡単そうですよね。
カヌーの写真はノースカロライナ交通博物館のレポートにも紹介してありますのでこちらもあわせてどうぞ。

議会と祭礼

村内にある不思議な8角形の家は議場として使われていたもので、室内は真中が低くなっていてそれを見下ろすように壁にしつらえられた木の座席がすり鉢上に囲んでいます。
座席はツアーグループを2つ飲み込んでも充分な余裕がありました。
左の写真がその室内です。
写真はフラッシュをたいているので鮮明に写っていますが、実際はオレンジ色のライトに照らされているのでどこか異次元にでも迷い込んだような雰囲気です。
ここでこの家の用途の説明などがあります。

ちょっと聞き取れなかったのだけれど、種族の長が集まった会議場だと思います。
柱の後ろに見える白、黄色、赤の羽飾りにもそれぞれ意味があるようでした。

右の写真は戸外にあるステージで、祭礼の時のダンスが披露された場所です。
実際にダンスが見られるのかなと思ったら説明だけ。
ちょっと残念。


チェロキーの町

みやげ物屋さんに立つインディアンチェロキーの街の中

チェロキーの町の中はかなり観光地化されていて、インディアンのクラフトを売る店、つまりおみやげもの屋さんが建ち並びます。
町を走るUS441は連休ということもあって車が行き交い、中には客寄せにインディアンの衣装を身に着けた人が立っているところもあって、一種独特の雰囲気を作り出しています。
日本で言うと、ちょっと田舎の温泉街といったところでしょうか?
そしてこのチェロキーにはカジノなども存在し、観光客の招来に一役かっています。

オコナラフティを出てチェロキーの街を抜け、再びUS74を経てインターステーツ40に復帰するとすぐにアッシュビルが見えて来ます。
家まであと少し。
メモリアルディの旅行もこれで終わりです。


戻る

旅行記のトップへ

HOME

このHPからの画像、文章等の無断転載、二次配布を禁じます。
http://www.ncwind.net
Copyright (c)1999-2003 Mizuki All right reserved